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第163回 詩とはなんぞや

「詩ってなあに?」 BL出版 2017年6月発行 32ページ
ミーシャ・アーチャー/作 石津ちひろ/訳
原著「Daniel Find a Poem」 Micha Archer 2016年

詩ってなあに?という絵本を今回ご紹介いたします。
なんという難しい質問なのでしょう。わたしは正しく答える自信がありません。詩や俳句を読んでも、想像力が働かないのでしょうか、いまいちぴんとこないことが多いのです。ですので、小さな人にこんな質問をされたら、猛ダッシュで逃げだしたくなるでしょう。ゆえにこの本にとびついてみました。

ダニエルがいつも行く大好きな公園。とっても広い公園です。大きな木、池、広い原っぱ、すべり台や散歩道があります。入口の柱にポスターが貼ってありました。「詩の発表会」があるんですって。
「詩ってなんだろう?」ダニエルはくびをかしげた。
でましたよ!この質問が!どうしましょうか。
お助け人登場。蜘蛛の巣から声が聞こえました。
クモさん曰く「詩っていうのはね、あさつゆの きらめき のことなの」

公園で会う生き物たちにたずねていくダニエル。
ハイイロリスは、「そうだなあ・・おちばの かさこそ なる おと が詩だとおもうよ」
カエルは、「ぴょんっと とびこみたくなる ひんやりとした みず のことだわ!」
カメさんは、「たぶん、おひさまで あたためられた すな のことじゃないかしら?」
コオロギは、はねをふるわせながら、うっとりするような おんがくをかなでてくれた。「ゆうぐれの かぜの なかに とけていく メロディー、それが詩というものなんだ」

みなさん、わたしのように逃げたりはしません。きちんと答えてくれています。
すてきなことばや音楽を教えてくれます。なるほど、詩とはこういうもの。かっちりとした答えのあるものではないのですね。最後にダニエルも自分の「詩」をみつけることができたようです。

詩が身近になったようにおもいました。詩を親しむきっかけになるすてきな絵本とおもいます。よろしければお手にとってみてください。
詩ってなあに?とたずねられたら・・・逃げ出さず、この絵本を渡すことにします・・・・
挿絵も素敵なのです。ダニエルは5才くらいでしょうか。4等身ぐらいの身長でこどもらしい体型、ふわふわ・くりくりした黒い髪の毛がたいへん可愛らしい。ダニエルはおしゃべりする時、しゃがんだり寝転んだりと目線が低いので、生き物たちとのふれあいの近さで彼らを愛している感じも伝わってきます。表紙にもなっていますがシマリスがとにかくカワイイ!

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第162回 自分の名前、好きですか?

自分の名前、好きですか?名前を言う度にからかわれちゃう少年へいたろうくんのお話です。ヘンじゃあない、とわたしは思いますけれど、本人は気になって気になって仕方がないのです。

「ぼくのなまえはへいたろう (ランドセル ブックス)」 福音館書店 2018年6月発行 28ページ
(月刊大きなポケット2005年12月号に掲載された「ぼくのなまえはへいたろう」を加筆編集したものです。)
灰島かり/文 殿内真帆/絵

へいたろうくんはおこっているのです。
自分の名前が昔のひとみたいで、長くて古臭い名前だね、と呼ばれる度に笑われるのです。音が重視で読み方の難しい名前が大流行の今だと、「平太郎」ですと目につく名前かもしれませんね。
スタンダードで良い名前だとわたしはおもいますがねえ。自分の名前なのですから、そのあたり、本人でないとわかりにくいものでしょう。
どうしても自分の名前がイヤなへいたろうくんは、笑われるのをどうにかしたくて、「名前」について調べます。

*名前は変えることができる。(正当な理由があると裁判所に認めてもらわねばなりません)
*名前には流行がある。
*へいたろう、という名前には、おおらかで堂々とした男の子、という意味がある。(へいたろうくんお父さん談。)
*生まれたときからへいたろうくんを「へいたろう」と読んでいるのでもう名前と本人はセットになっているように感じる。へいたろうという名前もへいたろうくんと同じくらい大好き。(へいたろうくんお母さん談。)
*愛や願いをこめて子供に名前をつける。
*病気や魔物から守るために、子供が小さいうちは、変な名前をつける時代や国がある。
*名前はみずからが育てるもの。(素敵な人の名前は、カッコイイ!と感じるようになるもんなのよ。)

わたしの名前は、ある漫画からとった名前で、どことなくカラフル(とわたしは感じる)・・そんな感じの名前なもんですから、子供の頃は名乗るのが少し恥ずかしい気持ちがありました。「漫画(の登場人物)みたいな名前だね」とズバリ言われたことも。いやはやまさにそうなんです、とはちょっと言えませんでした。大人になった今は、嫌いじゃないのですが。
人に名前を笑われちゃうって悲しいものなのですよね・・大いにへいたろうくんに共感いたします。ですのでどうぞ人の名前を笑わないであげてくださいね・・
子供は生まれた時に親が名前をつけます。自分で自分に名前をつけるわけでないからこそ、名付けって難しいのでしょうね。大人(親)が良いと思うものが、子も良いと思うかどうかはまた違うものでしょうから。わたしのように、自分の名前がしっくり馴染むまで少し時間がかかることもあるでしょう。
ただ、へいたろうくんのお父さんは、へいたろうくんが素敵な大人になりますように、と願いを込めて名付けたことが物語中にわかります。愛されてるんだよ~、へいたろうくん。

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第161回 なんでなくのか

「ないた」 金の星社 2004年9月発行 32ページ
中川ひろたか/作 長新太/絵

一日一回 ぼくはなく。どうしてだろう? そんな絵本をご紹介いたします。
大人になったら泣けません。いやうそです。わたしは映画を見ては本を読んでは泣き泣きしています、こっそりと。心が震えるとどうしたって涙がでちゃうんですもの。
実際に苦しいこと、悲しいこと、困ったことがあっても、大人はその場では泣きません。ぐぅっとこらえ、あとで泣こう、とおもうので精一杯。
感情をあらわにすると、後でおもいかえした時に恥ずかしいのです。丸裸にされたような気持ちになるのです。酔っ払って気分が開放されてしまい、ついつい喋りすぎたりはしゃぎすぎたりしたのを悔やむのと似ておりますね。ちょっといや大いに違うかもしれませんが、まあお許しくださいませよ。

この絵本の少年は、転んで泣き、ぶつけて泣く。けんかして、しかられて、悔しくて、寂しくて、心配で、嬉しくて、一日に一回は泣く。子供の頃、わたしもよく泣きました。泣くのを我慢してさらに泣いちゃったりね。きょうだいとケンカして泣かしたり泣かされたりしたこと、思い出しました。
幼い涙なんですよね。だがしかし今思えば、なんにも考えず感情のままに泣くことの、ああ、それのなんと気持ちよかったことよ。幼い涙もこれまた良いもの。

『おかあさんの おふとんにはいったとき、おかあさんの めから なみだが でた。つーっと、まくらに ながれて おちた。』
『ないてるのっ てきいたら「ううん」って、いった。』

大人になってくると、そうはいきません。お父さんやお母さんは、包丁で指を切ったくらいでは、人前で泣いてはいけないのです。だからこそ、おかあさんの目から流れる一粒の涙の意味が重いのです。大人になると涙する回数は減るけれど、どうしたって流れてしまう涙は大切なものになっていくように思います。
このシーンの涙がどんな涙なのか説明がないためいろいろ想像してしまって、こみ上げるものがあります。嬉し涙だといいなあ。
人前で泣けなくなってきた皆様におすすめしたい作品です。
長新太さんの挿し絵も素敵です。明るい黄色・オレンジをポイントに明暗がくっきりしていて目を引きます。「こわくてないた」の見開きページにはちょいと衝撃がきました。じっとみていたいような早くページをめくってしまいたいような、そんな気持ちになる挿し絵でした。

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第160回 風の強い日はオオカミがとんでる

今日の絵本は、ミロコマチコさんの作品をご紹介いたします。筆のあとがくっきり見える大胆な挿し絵。率直に申しまして「きれい」「かわいい」挿し絵ではないので好き嫌いがくっきりわかれそうです。ですが、このダイナミックな挿し絵はなんだかくせになります。
オオカミが飛ぶ?どういう意味だろう?とお思いの方はページを少しめくっていくと・・意味がわかりま~す。動物たちが大活躍なちょっと不思議な言い回し。

「オオカミがとぶひ」 イースト・プレス 2012年8月発行 34ページ
ミロコマチコ/著者

「きょうは かぜが つよい
びゅうびゅう びょうびょう ふきぬける」
「だって オオカミがかけまわっているから」
赤いベロがだらりととびでた鋭い目つきのオオカミの絵が見開き2ページに どーん! と表現されています。体よりしっぽのほうが大きい・・・ 不思議な絵です。前足を伸ばし、しっぽを力強くふりまわし風を切って駆けまわっています。

「とおくで カミナリが なっている
ゴロゴロ ドンドン なっている
ああ そうか
ゴリラがむねをたたいているんだ」
真っ黒いゴリラ、 どーん! 腕が太くて厚い胸板、大きく口を開け叫んでいます。カミナリの音をゴリラのドラミングに例えるのはオモシロイですねぇ。今後は、雷様がタイコたたいてる、でなく「ゴリラがドラミングしてる」という言い回しになるかもしれませぬ。

「かぜに ふかれて かみが さかだった
ツンツン トゲトゲ うえをむく
ああ ちがった
あたまに ハリネズミが のってたのか」
頭の上にハリネズミ、 どーん! 強い風に吹かれた髪の毛ってやっかい。手に負えません。髪の毛がハリネズミになるという表現、わかるようにおもいます。

そう、日常でおこること・感じることを動物たちで例えています。ミロコマチコさんの感覚が面白いですね。
時間がたつのが早く感じるのはリスが時計を早めたから、時間をゆったりに戻してくれるのはカメ(エンデの「モモ」ちょっと思い起こします)、部屋の中のものがなくなるのは、コウモリのしわざ、なのだそうです、彼らのせいだったのだ、テレビのリモコンがなくなるのは!
ちょっと不思議なのは「眠れないのはばっちりトナカイがみているから」
なんでトナカイなんだろう?残念ながらこれには想像がふくらみませんでした。日本にいないからかしら・・

うなずけるのも、う~ん?とおもうのもありますが、作者の不思議な感性がとっても楽しいですよ。ラストの文章「雨がやんでもうかみなりはならないのは、ぼくがねむったから」が面白い。ちょっと哲学なかおりがする(?)。よろしければお手にとってみてください。

ミロコマチコさんの他の絵本
「ぼくのふとんはうみでできている」「オレときいろ」「つちたち」「けもののにおいがしてきたぞ」「まっくらやみのまっくろ」「ドクルジン」巨大な創造主のおはなし。「てつぞうはね」暴れん坊の猫(8kg)てつぞうのお話。読む度泣いてしまう。
エッセイ・画集
「ホロホロチョウのよる」「けだらけ・ミロコマチコ画集」

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第159回 待望あかんぼう

「あかちゃんのゆりかご」 偕成社 2002年1月発行 32ページ
レベッカ・ボンド/作 さくまゆみこ/訳
原著「Just Like a Baby」 Rebecca Bond 1999年

あかちゃんが生まれます!おじいちゃん・おばあちゃん・おとうさん・おかあさん・おにいちゃん、みんな大喜び。
おとうさんは、ゆりかごを作ります。板をすべすべにみがきあげました。
おじいちゃんは、ゆりかごに色をぬり絵を描きます。きりん、しまうま、かば、おさる、ぞう、とりやクジラ、地球に暮らす生き物たち。
おばあちゃんは、ベッドカバーをぬいました。小さな布をたくさん縫い合わせたキルトの素敵なカバーです。
おにいちゃんは、モビールを作りました。これがあればねててもたのしいよ。
しっぽの長いおちゃめな黒いわんこは、ゆりかごに工夫を凝らすみんなのそばにつきしたがっています。
家族みんなが新しい命をそれぞれのやり方で待ち望んでいるのが素敵です。
みんな一度はゆりかごに入って眠り心地を試すのにはくすりときます。多分いや絶対わたしも試します。試さないではいられないほど素敵なゆりかごなんですもの。
あかちゃんの誕生が待ち遠しくて楽しみでたまらない喜びが伝わってきます。子どもたちが大事にされないという悲しいニュースも聞きますので、幸せな気持ちでいっぱいになる絵本でした。
レベッカ・ボンドさんの他の絵本
「ゆきがふったら」「ドーナツだいこうしん」「牛をかぶったカメラマン:キーアトン兄弟の物語」「森のおくから:むかし、カナダであったほんとうのはなし」